歴史年表
西暦 | 和暦 | 政治・経済 | 宗教・文化 | 自然災害 |
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742 | 天平14 | 大隅国で震動(霧島山噴火?) | ||
788 | 延暦7 | 噴火により狭野社焼失 | 3月4日、御鉢噴火 | |
837 | 承和4 | 霧島岑神、官社に昇格 | ||
847 | 承和14 | 天台僧の円仁、宝光院を開く。 | ||
858 | 天安2 | 霧島神、従五位上から従四位下に昇格 | ||
927 | 延長5 | 『延喜式』に「諸縣郡一座霧嶋神社」とある | ||
935 | 承平5 | この頃、諸縣郡春野郷に所属 | ||
941 | 天慶4 | 霧島山噴火 | ||
959 | 天徳3 | 天台僧の性空、修行のため霧島山に入る | ||
966 | 康保3 | 性空、霧島東神社を建立(社記) | ||
1112 | 天永3 | 噴火により錫杖院・神徳院などの社寺焼失 | 2月3日、霧島山噴火 | |
1167 | 仁安2 | 噴火により狭野の西生寺焼失 | 霧島山噴火 | |
1184 | 寿永3 | 霧島山噴火 | ||
1234 | 文暦1 | 噴火により社寺焼失 | 12月28日、霧島山噴火 | |
1307 | 徳治2 | 11月、霧島山・大浪池が鳴動 | ||
1409 | 応永16 | 島津久豊、霧島六所権現社に知行10町を寄進 | ||
1486 | 文明18 | 真言僧の円政、島津忠昌の命により、錫杖院を復興 | ||
1510 | 永正7 | 十輪院の聖諭、霧島山で21日間参籠 | ||
1524 | 大永4 | 北原氏、北郷忠相に対抗するため、高原に城を築く | ||
1533 | 天文2 | 後川内奥で庚申碑が建てられる | ||
1543 | 天文12 | 神徳院の舜恵、島津貴久の命により、麓の鎮守社に狭野の仮宮を建立 | ||
1545 | 天文14 | 稲津豊前、地頭となる | ||
1551 | 天文20 | 北原氏の支配下になり、白坂式部太夫が地頭となる | ||
1554 | 天文23 | 霧島山噴火(~1555) | ||
1563 | 永禄6 | 島津貴久、初めて霧島六所権現社で「御くじ」を引く | ||
1564 | 永禄7 | この頃、伊東氏の支配下に入る | ||
1566 | 永禄9 | 9月9日、霧島山噴火 | ||
1571 | 元亀2 | 伊東氏、高原に番兵を置き島津氏に対抗する | 神徳院の頼存、狭野社遷宮式を行う | |
1573 | 天正1 | 王子権現社、野火により焼失源則武、屋敷野・越に供養碑等を造立 | ||
1574 | 天正2 | 王子権現社の御神体9柱が作成される | 霧島山噴火 | |
1575 | 天正3 | 鎌田刑部少輔、地頭となる | 霧島で「大宝の注連」が建てられ、神楽が舞われる | |
1576 | 天正4 | 出水・菱刈・大口などから移住有り島津義久、高原城を攻め落とす | 華林寺の頼継、霧島社内で「私之立願」を行い神楽などを催す | 霧島山噴火(~1578) |
1577 | 天正5 | 上原長門守尚近、地頭となる | ||
1578 | 天正6 | 薩摩国蒲生より移住者有り | ||
1581 | 天正9 | 吉田若狭、地頭となる | ||
1582 | 天正10 | 花堂に地頭仮屋設置(~1644) | ||
1583 | 天正11 | 山田理庵、地頭となる | ||
1585 | 天正13 | 白川・松岡・本田・赤碕・吉井・瀬之口・麦山・白坂・平良氏、高岡郷へ移る | 霧島山噴火 | |
1586 | 天正14 | 新納旅庵、地頭となる 松下・大堂・伊集院等から移住有り |
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1587 | 天正15 | 諸県郡、島津久保に与えられる | 島津義弘、霧島権現に米を寄進 | 霧島山噴火 |
1588 | 天正16 | 霧島山噴火 | ||
1589 | 天正17 | 小森江介・谷川金兵衛、畑酉池堤で上意討ちに遭う 島津義久、上洛の途中で花堂村の田口十郎右衛門屋敷に宿泊 |
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1590 | 天正18 | 山田理庵、地頭となる | ||
1591 | 天正19 | 鳥集対馬守、広原池の原に庚申碑を造立 | ||
1592 | 文禄1 | 東霧島、高原領内に入る | 霧島山噴火、天の逆鉾破損 | |
1594 | 文禄3 | 高原・小林郷から須木へ160名移住 | ||
1596 | 慶長1 | 神徳院の宥淳、加久藤で法華経一千部を読誦 | ||
1597 | 慶長2 | 入木院又六、地頭となる | 霧島山噴火(~1600) | |
1598 | 慶長3 | |||
1599 | 慶長4 | 徳永淡路兄弟、川添壱岐殺害の罪により、鳥井原で切腹 池平・黒瀬戸・瀬戸尾に遠め番屋設置 |
3月、宥淳、加久藤一本杉に法華経一千部供養の石塔を建てる | |
1600 | 慶長5 | 関ヶ原の戦で入木院又六戦死 | 島津忠恒、霧島社に高原郷蒲牟田村508石余を寄進 勅詔院、真言宗に改宗 |
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1601 | 慶長6 | 11月26日、宥淳、狭野社の再興・遷宮式を行う | ||
1602 | 慶長7 | 島津大膳亮、地頭となる | 小林郷遊木俵門52石、狭野社に寄進 | |
1610 | 慶長15 | 宥淳、島津家久の命により、狭野原の旧地に祠廟を建立、併せて社領の境界を確定 | ||
1612 | 慶長17 | 東霧島、高城領内となる | 11月28日、神徳院の宥賢、狭野社御神体を鎮守社から狭野に移す | |
1613 | 慶長18 | 霧島山噴火(~1614) | ||
1615 | 元和1 | 島津家久、蒲牟田村521石を霧島山に寄進 | ||
1617 | 元和3 | 霧島山噴火(~1618) | ||
1624 | 寛永1 | 8月28日、宥憲、神徳院住持となる | ||
1626 | 寛永3 | 伊東領内・庄内・川内・秋月領内等から移住者有り | ||
1629 | 寛永6 | 島津大膳亮家臣、飯野から移住する | ||
1630 | 寛永7 | 島津大膳亮、狭野社遷宮式に藩主名代として参列 | 11月4日、宥淳、狭野社の修理・遷宮式を行う | |
1631 | 寛永8 | 2月26日、神徳院住持の宥淳、逝去 | ||
1632 | 寛永9 | 村田次郎左衛門、地頭となる 村田・田中・長濱等4名、穆佐から移住 |
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1633 | 寛永10 | 一向宗取締りにより衆中20名減少 | ||
1637 | 寛永14 | 2月29日、野火により狭野社及び宝物が焼失 | ||
1638 | 寛永15 | 鎌田源左衛門、地頭となる | ||
1639 | 寛永16 | 島津光久、藩内巡検のため花堂村田口十右衛門屋敷に宿泊 | ||
1642 | 寛永19 | 宮田孝右衛門等、野尻から移住 | ||
1644 | 正保1 | 竿入が行われる 地頭仮屋敷地に坂元寺本殿建立 |
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1645 | 正保2 | 7月10日、藩主島津綱貴、神徳院に自筆の竹絵を下賜 | ||
1646 | 正保3 | 猿渡大炊介、地頭となる | ||
1647 | 正保4 | 1月15日、宥岳、神徳院住持となる | ||
1653 | 承応2 | 相良主税、地頭となる | 4月、宥憲、福昌寺の大猶院(三代将軍徳川家光)3回忌法事に出勤 | |
1656 | 明暦2 | 島津美作守久成、狭野社遷宮式に藩主名代として参列 | 12月23日、宥憲、狭野社の修理・遷宮式を行う | |
1657 | 明暦3 |
竿入が行われる |
4月、宥憲、福昌寺の大猶院7回忌法事に出勤 | |
1659 | 万治1 | 霧島山噴火 | ||
1660 | 万治2 | 一向宗取締りにより衆中4名減 | ||
1665 | 寛文5 | 8月、神徳院、東叡山輪王寺宮直末となる | ||
1666 | 寛文6 | 喜入休右衛門、地頭となる | 島津光久、霧島東社に扁額を奉納 | |
1667 | 寛文7 | 4月、宥憲、福昌寺の大猶院17回忌法事に出勤 12月29日、神徳院住持の宥憲、逝去 |
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1668 | 寛文8 | 9月、憲純、江戸で神徳院住持を拝命 11月、憲純、神徳院に入る |
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1669 | 寛文9 | 山田民部有祐、地頭となる | ||
1670 | 寛文10 | 神徳院、末寺を失う代わりに、東叡山寛永寺直末に確定 | ||
1671 | 寛文11 | 4月、憲純、福昌寺の大猶院21回忌法事に出勤 | ||
1675 | 延宝3 | 平戸の橘三喜、錫杖院から鉾峰に登頂 | ||
1676 | 延宝4 |
憲純、狭野社の修復を開始 |
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1677 | 延宝5 | 荒川内に馬次場設置 | ||
1678 | 延宝6 | 山田民部、盛長を訴えようとする憲純に和睦を勧める | 錫杖院の盛長、狭野の司と祓川の社人組織を編成 | |
1679 | 延宝7 | 山田民部、狭野社遷宮式に藩主名代として参列 | 8月7日、憲純、狭野社の修理・遷宮式を行う | |
1680 | 延宝8 | 高原郷より前田・大牟田・縄瀬村を独立、高崎郷を新設 小林郷広原村・野尻郷水流村、高原郷に編入 |
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1681 | 天和1 | 高原・高崎郷の境界線確定 高原郷より笛水・江平村を野尻郷に編入 |
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1683 | 天和3 | 4月、憲純、福昌寺の大猶院33回忌法事に出勤 | ||
1684 | 貞享1 | 若松彦兵衛、地頭となる | ||
1685 | 貞享2 | この頃、無地頭 | ||
1686 | 貞享3 | 種子島次郎右衛門、地頭となる | ||
1688 | 元禄1 | 喜入休右衛門、地頭となる | ||
1690 | 元禄3 | この頃、無地頭 | ||
1693 | 元禄6 | 神徳院の鐘楼建立 | ||
1695 | 元禄8 | 鎌田采女、狭野社遷宮式に藩主名代として参列 | ||
1696 | 元禄9 | 椛山権右衛門、地頭となる | ||
1702 | 元禄15 | 島津綱貴、神徳院・錫杖院に寄進 | ||
1703 | 元禄16 | 椛山権右衛門逝去により無地頭 | ||
1704 | 宝永1 | 4月6日、高原衆中、白鳥社での東大寺大仏殿の材木運搬を加勢 | 信州善光寺阿弥陀如来勧進が来郷 | |
1705 | 宝永2 | 清水弥兵衛、地頭となる | ||
1706 | 宝永3 | 伊集院監物、狭野社遷宮式に藩主名代として参列 狭野原新田に竿入 |
1月28日、憲純、狭野社の修理・遷宮式を行う 憲純、溝を掘り、狭野原に水を通す |
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1711 | 正徳1 | 8月10日、神徳院住持の憲純、逝去 | ||
1713 | 正徳3 | 左近允與太夫、地頭となる | ||
1714 | 正徳4 | 2月22日、神徳院住持の宥貞、逝去 8月18日、萬嶺、神徳院住持及び鹿児島南泉院の院代に就任 |
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1715 | 正徳5 | 徳永諸右衛門等、神徳院に灯籠を献上 | ||
1716 | 享保1 | 9月24日、狭野社遷宮式に伴い、藩主名代の島津藤次郎久智、鹿児島から狭野社に入る 9月25日、地頭の左近允與大夫、初めて高原郷に入る 9月26日、左近允與大夫、狭野社遷宮式のため狭野社に参詣 |
9月26日、噴火により神徳院・霧島東社焼失 12月28日、噴火により錫杖院焼失 |
2月18日、新燃岳噴火 3月16日、「霧島山三山之辺」で噴火 8月11日、新燃岳噴火、高原郷及び山之口郷で降灰 9月26日、午後4時及び8時に新燃岳大噴火、祓川・狭野・花堂の社寺及び集落焼失 10月頃、高千穂郷から新燃岳噴火が目撃される 12月28日~29日夜、新燃岳が大噴火、祓川・狭野集落及び蒲牟田村・広原村の他、高崎郷朝倉村が焼失 |
1717 | 享保2 | 噴火により高崎・水流・都城・小林・飯野・加久藤等へ避難 2~3月、郷内各地で砂揚 |
噴火により諸社寺小林などに移る | 1月1日、新燃岳噴火、霧島東社焼失 1月3日、午前中に新燃岳が2度大噴火、花堂に大石が飛来、高崎麓焼失、高崎郷及び山之口郷で砂灰降下 1月7日、新燃岳が大噴火、山之口郷に大石飛来 1月8日、新燃岳噴火、山之口郷で降灰 1月10日、新燃岳噴火、山之口郷で降灰 1月11日、新燃岳噴火、山之口郷に赤石が飛来 1月12日、新燃岳噴火、山之口郷で降灰 8月2日、新燃岳噴火、山之口郷で降灰 |
1718 | 享保3 | 市来勘左衛門、地頭となる | 5月15日、萬嶺、神徳院住持を辞職し、南泉院に庵を構える 円清、神徳院住持となる |
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1719 | 享保4 | この頃、避難先から郷内に戻る | ||
1720 | 享保5 | 衆中による砂揚 | 円清、狭野の旧地に仮宮を建立 | |
1721 | 享保6 | この頃、小長野溝が出来る | 2月5日、狭野社、小林宝光院から遷宮狭野で社人による砂揚 | |
1723 | 享保8 | 狭野神楽に龍絵の緞帳が寄進される | ||
1724 | 享保9 | 4月8日、森雲平、王寺権現社近くで田の神像を造立(町内最古の田の神像) | ||
1725 | 享保10 | 神徳院始め周辺寺家復興(~1726) 坂元寺・水流村極楽寺再建 |
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1726 | 享保11 | 島津継豊、霧島東社の社殿を再建 | ||
1728 | 享保13 | 種子島春時、狭野社遷宮式に藩主名代として参列 | 9月26日、円清、狭野社の修理・遷宮式を行う | |
1729 | 享保14 | 霧島岑社、夷守岳中腹に移転 神徳院住持の萬嶺、逝去 |
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1730 | 享保15 | 伊集院仁左衛門、地頭となる | ||
1731 | 享保16 | 3月、四位左衛門、鹿児山に二十三夜碑を造立 | 円清、狭野原大山野の開発を藩に申請 | |
1732 | 享保17 | 狭野原大山野の開発が許可 広原村の前原仙教坊、王寺権現別当職を小林宝光院に譲渡 |
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1733 | 享保18 | 水流村、檀方を極楽寺とする | ||
1734 | 享保19 | 円清、仁王像を造立 | ||
1735 | 享保20 | 円清、護摩堂に弘法大師作の不動明王座像を招請 | ||
1737 | 元文2 | 円清、本尊に阿弥陀如来座像を招請 | ||
1743 | 寛保3 | 神徳院の旭威、狭野原の前野・大山野の領有権を藩に申請 | ||
1746 | 延享3 | 神徳院、藩から狭野原の領有を許可 | ||
1748 | 寛延1 | 1月19日、神徳院住持の旭威、逝去 | ||
1750 | 寛延3 | 狭野神楽の番付表が作成される 蒲牟田村で田の神座像造立 10月13日、神徳院住持の円清、逝去 神徳院の宥盛、狭野原に新しい溝を通して新田を開発 |
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1753 | 宝暦3 | 畠山喜藤二、地頭となる | ||
1761 | 宝暦11 | 島津内記、狭野社遷宮式に藩主名代として参列 | 10月25日、宥盛、狭野社の修理・遷宮式を行うこの頃、祓川神舞の女面作成 | |
1762 | 宝暦12 | 12月13日、神徳院住持の宥盛、逝去 | ||
1764 | 明和1 | 伊集院伊膳、地頭となる | ||
1769 | 明和6 | 石黒戸後左衛門、地頭となる 狭野の岩元氏、住居を建築 7月、彗星目撃(メシエ彗星) |
古御鉢噴火、後川内等に降灰 7月29日、大風 9月28日、大地震(小長野溝破損) |
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1771 | 明和8 | 7月20日、古御鉢噴火 | ||
1773 | 安永2 | 薩摩国川辺郷より移住者有り(~1786) | ||
1774 | 安永3 | 狭野社の日高長太夫、狭野神楽番付を確認して引き継ぐ 蒲牟田村鉾神社で庚申碑造立 |
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1775 | 安永4 | 樺山物集女(助之進)、地頭となる | ||
1776 | 安永5 | 薩摩国川辺郷から55名移住(~1786) | ||
1777 | 安永6 | 11月18日、神徳院の憲応、狭野に四所宮を建立 狭野の岩元氏屋敷で庚申碑造立 狭野社の岩元佐太夫、寛延3年作成の神楽番付を改めて作成 |
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1778 | 安永7 | 広原村福原で水神碑造立 | ||
1779 | 安永8 | 広原村上平で馬頭観音造立 | ||
1781 | 天明1 | 花堂村高松で庚申碑造立 | ||
1782 | 天明2 | 伊勢久居の橘南谿、霧島山に登頂する | 後川内村石ヶ野の高麗観音堂で灯籠造立 | |
1783 | 天明3 | 備中の古川古松軒、霧島山に登頂する | ||
1784 | 天明4 | 山之口の永田延寿印、蒲牟田村湯之元で温泉を発見 島津小平太、狭野社遷宮式に藩主名代として参列 |
憲応、狭野社の修理・遷宮式を行う 憲応、狭野社の切石石垣を新調 |
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1793 | 寛政5 | 神徳院住持の憲応、逝去 | ||
1798 | 寛政10 | 樺山物集女(助之進)、地頭となる | ||
1803 | 享和3 | 狭野社焼失、小林の宝光院に遷座 | ||
1804 | 文化1 | 日高次右衛門、地頭となるが、病死により明所、大御番頭北郷作右衛門預かりとなる | 大風により狭野社裏門大破 8月17日、神徳院住持の良真、逝去 |
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1806 | 文化3 | 狭野社、小林より旧地に復する | ||
1807 | 文化4 | 狭野社の裏門再建神徳院の良林、狭野原の前野水分の石畳を新調 | ||
1811 | 文化8 | 平島平八、地頭となる (その後再び明所) |
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1812 | 文化9 | 公儀天文方、郷内を測量 義岡久馬、地頭となる |
島津重豪、後川内村に霞権現社建立 非常時に備え狭野社境内に仮宮を建立 7月14日、神徳院住持の良林、逝去 |
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1814 | 文化11 | 神徳院の良芳、狭野社の修理を開始 広原村福原で庚申碑造立 |
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1815 | 文化12 | 町田勝兵衛、狭野社遷宮式に藩主名代として参列 | 9月15日、良芳、狭野社の修理・遷宮式を行う 狭野社の石階段等が新調 |
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1817 | 文化13 | 郷士年寄の甲斐両右衛門、仔細により徳之島に遠島処分となる | ||
1818 | 文政1 | 黒木市太夫・丸山小十郎、郷士年寄罷免日高次右衛門、地頭となる | ||
1819 | 文政2 | 狭野の馬頭観音修復 | ||
1821 | 文政4 | 甲斐両右衛門、遠島赦免となる | 義岡久馬の家族、狭野社に参詣 | 12月19日、新燃岳噴火 |
1823 | 文政6 | 1月28日~3月19日、竿入が水流村から後川内まで行われる | 狭野社正祝子岩元内記・紺屋瀬戸口武右衛門、狭野神楽に番付表を寄進 | |
1824 | 文政7 | 地頭の義岡久馬、病死 | この頃、苗代田祭の木牛作成 | |
1825 | 文政8 | 5月7日、島津典禮、地頭となる | ||
1826 | 文政9 | 1月8日、神徳院住持の智祐、逝去 | ||
1828 | 文政11 | 長崎の木下逸雲、高千穂峰に登頂 | 9月4日、神徳院住持の良芳、逝去 | |
1829 | 文政12 | 斎藤中衛妻、狭野神楽に装束を寄進 | ||
1831 | 天保2 | 高原で宗門改め | ||
1832 | 天保3 | 干天・大風 | ||
1833 | 天保4 | 祓川郷士の黒木半右衛門、住居を建てる 永浜勘兵衛、「高原所系図」を作成 |
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1835 | 天保6 | 大風により被害多数 | ||
1836 | 天保7 | 瀬戸口武右衛門、狭野神楽に幟を寄進 | ||
1838 | 天保9 | 広原村八久保で田の神像造立 | ||
1839 | 天保10 | 小長野溝普請着工 | ||
1843 | 天保14 | 2月7日、彗星目撃(Great March Comet) 6~7月、牛の流行り病 |
7月5日、坂元寺の外に水天神が祀られる | 7月、大風により作物被害 |
1844 | 弘化1 | 広原郷士藤田長保の家僕由善坊、善行を称えられ、藩・地頭より褒賞を賜る | 霧島山8合目で夜火目撃 | |
1845 | 弘化2 | 藩主島津斉興、郷内を巡検 | 3月28日、霧島東社に龍鱗寄進 | |
1846 | 弘化3 | 2月1日、島津斉興、狭野神楽に金1貫748文を寄進 11月13日、蒲牟田村宇都之前で社殿普請 |
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1847 | 弘化4 | 11月中旬、小林城山・高原などに甘露が降る | 1月20日、宇都社の普請完了 4月11日、神徳院住持の光盤、狭野社を宇都社へ遷宮する 6月19日、神徳院住持の光盤、逝去 8月5日、称全、神徳院住持となる |
6月23日~24、大風雨により、小塚山・蒲牟田村に被害 |
1848 | 嘉永1 | 1月3日、狭野原なら木山神で軍事調練実施 11月18日、彗星目撃高千穂開田工事着工 |
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1850 | 嘉永3 | 高千穂開田工事終了 | 8月7日、大風により大被害 | |
1851 | 嘉永4 | 狭野社人日高宮内、『剣之巻』を書写 | ||
1852 | 嘉永5 | 12月1日~21、御用銭の所在を巡る騒動勃発 | ||
1853 | 嘉永6 | 12月9日、島津斉彬、郷内を巡検 | ||
1854 | 安政1 | 11月5日~7、大地震により夷守岳の一部が崩壊 | ||
1855 | 安政2 | 8月1日、福崎助八、地頭となる | 3月15日、御池異常減水 | |
1857 | 安政4 | 12月14日、花堂永浜家火災 | ||
1858 | 安政5 | 8月、彗星目撃(Donati彗星) 島津矢柄、地頭となる |
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1860 | 万延1 | 広原村南川内で水神碑造立 | ||
1861 | 文久1 | 5月25日、彗星目撃(Tebbutt彗星) | ||
1862 | 文久2 | 2月7日、人吉大火で焼失した文書等が飛来 8月3日、彗星目撃 |
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1863 | 文久3 | 7月3~5日、インドシナ艦隊侵攻に伴い高原郷から出兵 | ||
1864 | 元治1 | 10月5日、名越左源太、小林・加久藤・飯野・須木・野尻・高原六ヶ郷居地頭となる | 10月9日、名越左源太、神徳院・錫杖院に参詣 | |
1865 | 慶応1 | 10月7日、坂元寺山・宮田山などで猿を多数目撃 | ||
1866 | 慶応2 | 2月、坂本龍馬、高千穂峰に登頂 | ||
1867 | 慶応3 | 1月11日、並木の移百姓甚太郎養女、牛子を出産 2月、小林居地頭の中原周助、逝去 3月、谷川十郎兵衛、小林居地頭となる 9月、谷川十郎兵衛、逝去。近藤七郎左衛門、小林居地頭となる |
8月12日、狭野社の岩元大和・日高右近・岩元兵庫、神道免状授与のため上洛 9月、花堂村の坂本寺・広原村の真源庵・麓の地蔵院・水流村の極楽寺、所領没収となる |
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1868 | 慶応4 明治1 |
8月~、越後口の戦争に高原郷士2名従軍 | 4月29日、錫杖院廃寺、仏像焼却 閏4月3日、神徳院廃寺、仏像破却 8月28日,神徳院住持の称全、逝去 |
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1869 | 明治2 | 1~2月、戊辰戦争より高原郷士帰国 高原学校、地蔵院跡に開設 8月、高原郷に諸郷常備隊設置 |
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1870 | 明治3 | 10月、高原・高崎郷合併により、水流村は都城上庄内に、高城郷東霧島村・都城桑鶴村は高原郷へそれぞれ編入 9月、水流村の農民作兵衛夫妻・蒲牟田村の東伊左衛門、善行を称えられ石碑造立 |
東霧島社の勅詔院、廃寺 | |
1871 | 明治4 | 7月、廃藩置県により鹿児島県に所属 9月15日、吉野での調練に高原郷の常備隊参加 11月、九州諸県統廃合により都城県に所属 |
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1872 | 明治5 | 2月、廃藩置県に伴い諸郷常備隊解散、戸長制度導入 8月、学制頒布により、地蔵院跡の高原学校が地頭仮屋跡に移転、高原小学校と改名 |
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1873 | 明治6 | 1月1日、田口長善、戸長となる 1月、都城・美々津県合併に伴い宮崎県に所属 2月、狭野小学校、前野に創設 |
5月、狭野神社、県社に列せられる 宮の宇都社、狭野神社に移転 |
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1874 | 明治7 | 3月、後川内小学校、石ヶ野に創設 8月、広原小学校、八久保に創設 |
夷守神社社地に霧島岑神社移転、合祀して霧島岑神社となる | |
1876 | 明治9 | 3月、地租改正に伴う検地 8月、宮崎廃県に伴い鹿児島県に所属 |
児湯郡三納代村の阿弥陀寺、出口地蔵院跡に移転(現遍照寺) | |
1877 | 明治10 | 2月15日、田口矢一郎、戸長を退任 7月14日、政府軍、高原古城山周辺の薩軍を襲撃 7月17日~21、薩軍、高原の政府軍を襲撃 |
3月21日、霧島東神社、官幣大社霧島神宮摂社に昇格 | |
1879 | 明治12 | 12月、副戸長の森山正十郎、高原城跡に西南戦争戦死者招魂碑を造立 | 狭野神社の境内の大部分が官有地になる | |
1880 | 明治13 | 霧島岑神社、霧島神宮摂社となる 10月31日、霧島東神社、霧島神宮摂社兼郷社に昇格 | ||
1881 | 明治14 | 都城郡役所から瀬戸精心を迎えて戸長とする | ||
1883 | 明治16 | 5月9日、宮崎県再設置に伴い、宮崎県に所属 6月、北諸県郡に所属 |
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1884 | 明治17 | 1月26日、新たに設置された西諸県郡に所属 | ||
1887 | 明治20 | 5月、御鉢噴火 | ||
1888 | 明治21 | 5月9日、御鉢噴火 | ||
1889 | 明治22 | 4月1日、町村制施行に伴い、麓・後川内・蒲牟田・広原村が高原村となる 5月30日、甲斐安、初代村長(~1890年10月13日) |
12月10日・18、御鉢大噴火 | |
1890 | 明治24 | 11月25日、田口志朗、2代村長(~1894年11月24日) | 6月19日、御鉢噴火 11月10日、御鉢噴火 |
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1891 | 明治25 | 高原小学校尋常科・高等科設置が許可 | ||
1892 | 明治26 | 宮崎県獣医学校開校 | ||
1893 | 明治27 | 日清戦争に伴い17名出征 | 2月25日、御鉢噴火 | |
1894 | 明治28 | 11月26日、田口志朗、3代村長(~1895年4月17日) | 7月16日、御鉢噴火 10月16日、御鉢噴火、死者4名 12月18日、御鉢噴火 |
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1895 | 明治29 | 12月20日、甲斐安、4代村長(~1898年12月20日) | 3月15日、御鉢噴火、登山者死傷 6月22日・25~26、御鉢噴火 12月21日、御鉢噴火 |
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1896 | 明治30 | 5月3日、御鉢噴火 6月25日、御鉢噴火 9月4日、御鉢噴火 |
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1897 | 明治31 | 軍馬補充部高原派出部設置 | 2月8日、御鉢噴火 3月11日、御鉢噴火 12月26日~30、御鉢噴火 |
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1898 | 明治32 | 広原鷹巣原開墾 | 7月28日、御鉢噴火 9月12日、御鉢噴火 10月13日、御鉢噴火 11月7日、御鉢噴火 |
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1899 | 明治33 | 1月13日、黒木昌友、5代村長(~1903年1月12日) | 2月16日、御鉢噴火、死傷者5名 | |
1900 | 明治34 | 狭野小学校、前野に移転 | ||
1901 | 明治35 | 狭野小学校の校舎竣工 | ||
1902 | 明治36 | 8月29日、御鉢噴火 11月25日、御鉢噴火 |
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1903 | 明治37 | 1月18日、黒木昌友、6代村長(~1907年1月17日) | 2月2日、広原小学校全焼 | |
1904 | 明治38 | 日露戦争に137名出征 | ||
1905 | 明治39 | 3月23日、並木郵便局開局 | 4月13日、狭野神社、宮崎神宮旧社殿の移築に着手 | |
1906 | 明治40 | 2月28日、広原小学校新校舎竣工 | 4月1日、鎮守神社、上馬場から城ノ下に移転 4月10日、鹿児山の伊勢・水分の山社、上馬場の水神社、鎮守神社に合祀 5月18日、宮崎神宮旧社殿移築完了 |
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1907 | 明治41 | 1月25日、黒木昌友、7代村長(~1911年1月24日) | ||
1909 | 明治43 | 9月23日、忠霊丘に日清日露戦争記念碑・忠魂碑造立 | ||
1910 | 明治44 | 高原で小作争議勃発 | ||
1911 | 明治45 | 1月25日、黒木昌友、8代村長(~1913年11月12日) 7月、高原青年団創立 |
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1913 | 大正2 | 2月、御池に県水産試験場分場設置 5月11日、高原駅開業 9月、日向水力発電所、 猿瀬に発電所を設立 |
5月、麓に摂護寺(後の光明寺)創建 | 5月19日~9月1日、御鉢周辺で群発地震 11月8日、御鉢噴火 12月9日、御鉢噴火 |
1914 | 大正3 | 7月6日、瀬戸口長通、9代村長(~1915年8月25日) 11月8日、青島陥落祝勝提灯行列 この頃、村内の小作争議激化 |
1月8日、御鉢噴火 | |
1915 | 大正4 | 9月14日、宮田耕造、10代村長 11月18日、村長の宮田耕造、病のため逝去 |
7~8月、霧島山周辺で群発地震 | |
1916 | 大正5 | 3月6日、猪俣連、11代村長(~1920年3月5日) | ||
1917 | 大正6 | 3月10日、高原尋常小学校、現在地に移転 | ||
1918 | 大正7 | 10月17日、広原尋常小学校、現在地に移転 各尋常小学校に農業補修学校併設 |
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1919 | 大正8 | 蒲牟田尋常小学校、狭野小学校に改称 | 5月15日、狭野大火災、14戸延焼 | |
1920 | 大正9 | 3月6日、橋口源次、12代村長(~1924年3月5日) 5月11日、宮崎県種畜場、並木に創設 |
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1921 | 大正10 | 5月3日、高原尋常小学校に皇太子行啓記念碑建立 | ||
1922 | 大正11 | 3月20日、駅前大火を記念して秋葉堂建立 | ||
1923 | 大正12 | 5月20日、久邇宮、狭野神社に参拝 10月10日、鷹巣原開田成功を記念して田の神像建立 |
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1924 | 大正13 | 3月6日、永山千治、13代村長(~1928年3月5日) 3月18日、高原校区処女会発足 |
12月9日、狭野の杉並木、国天然記念物に指定 | 10月7日、暴風雨により田畑家屋損害 |
1925 | 大正14 | 4月4日、後川内尋常小学校に高等科設置 4月、高原青年団、県より謝状受領 |
秩父宮、高千穂峰登山 伏見宮、狭野神社に参拝 |
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1926 | 昭和1 | |||
1927 | 昭和2 | 村内に電話架設 | ||
1928 | 昭和3 | 3月6日、野村嘉久馬、14代村長(~1931年8月26日) | ||
1929 | 昭和4 | |||
1930 | 昭和5 | 高原村婦人連合会結成 後川内尋常小学校、現在地に移転 高原校区処女会、女子青年団に改称 |
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1931 | 昭和6 | 9月30日、野村嘉久馬、初代町長(~1935年9月9日) | 7月18日、山下の宮田神社・花堂の高松水神社に合祀 7月22日、小岩屋の佐衛神社・大迫の山神社・越の猿田彦神社、霞神社に合祀 |
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1932 | 昭和7 | 経済更正村に指定 | ||
1933 | 昭和8 | 狭野尋常小学校、現在地に移転 | ||
1934 | 昭和9 | 10月5日、町制施行に伴い、高原町と改称 9月30日、役場庁舎竣工 10月15日、町制祝賀会・役場落成式開催 |
5月1日、狭野神社の仏法僧繁殖地、国天然記念物に指定 9月29日、霧島東神社、県社に昇格 霧島国立公園に指定 |
新燃岳火口湖の水が濁り、ガス噴出 凶作 |
1935 | 昭和10 | 9月30日、野村嘉久馬、2代町長(~1939年9月12日) 国勢調査実施 高原で陸軍特別大演習開催 |
梨本宮、皇子原・御池を訪問 高原郷土史刊行 |
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1936 | 昭和11 | 7月25日、高原尋常小学校の講堂(現在の町民体育館分館)竣工 | ||
1937 | 昭和12 | 独駐日大使代表のラインホルツ・シュルツェ、高原の祖国振兵隊を視察 | ||
1938 | 昭和13 | 12月22日、祖国振興隊結成 | ||
1939 | 昭和14 | 9月28日、野村嘉久馬、3代町長(~1942年4月8日) | ||
1940 | 昭和15 | 辻の堂川の堤防完成木場谷で耕耘機導入 | 狭野神社の社務所建立 | |
1941 | 昭和16 | 4月1日、高原尋常小学校、高原国民学校に改称 | ||
1942 | 昭和17 | 5月15日、野村嘉久馬、4代町長(~1946年4月2日) | ||
1943 | 昭和18 | この頃、祖国振興隊により後川内農道造成 宮崎銀行小林支店高原出張所開設 |
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1944 | 昭和19 | 9月2日、沖縄県那覇市より学童集団疎開(158名) | 3月1日、光明寺創建 12月15日、高原町古墳、県史跡に指定 |
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1945 | 昭和20 | 4月、歩兵第14連隊が移駐 | ||
1946 | 昭和21 | 6月24日、東政吉、5代町長(~1947年2月14日) 疎開学童、沖縄に戻る |
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1947 | 昭和22 | 4月1日、高原国民学校、高原小学校に改称 4月5日、今西周助、6代町長(~1951年4月2日) 5月3日、新憲法発布施行記念式典 |
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1948 | 昭和23 | 3月8日、高原警察署開設 | ||
1949 | 昭和24 | |||
1950 | 昭和25 | 4月8日、常盤台分校開設 後川内中学校独立開設 町立病院開院 広原郵便局開設 上水道事業開始 |
祓川の田の神盗難 (オットイタノカン |
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1951 | 昭和26 | 4月28日、北迫栄吉、7代町長(~1955年4月30日) | ||
1952 | 昭和27 | 6月1日、高原小学校校舎本館落成 8月16日、農協婦人部結成 高原畜産高校設置 |
昭和9年以来の凶作 | |
1953 | 昭和28 | 4月10日、高原畜産高校入学式開催 | ||
1954 | 昭和29 | 町制20周年記念式典開催 | ||
1955 | 昭和30 | 5月1日、高妻彦衛、8代町長(~1957年9月12日) 広原簡易水道給水開始 |
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1956 | 昭和31 | |||
1957 | 昭和32 | 10月15日、西川嘉次、9代町長(~1961年10月14日) | 12月1日、狭野神楽保存会結成 | |
1958 | 昭和33 | 4月1日、祓川神楽保存会結成 | 11月19日、大浪池で噴気確認 | |
1959 | 昭和34 | 2月7日、高原畜産高校新校舎竣工 御池キャンプ村開村 野村嘉久馬、名誉町民に選定 |
2月17日、新燃岳噴火 | |
1960 | 昭和35 | 高原町社会福祉協議会結成 狭野で開田整備 高原町商工会設立 |
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1961 | 昭和36 | 10月15日、西川嘉次、10代町長(~1965年10月14日) | ||
1962 | 昭和37 | 増水で三福神橋流失 | ||
1963 | 昭和38 | |||
1964 | 昭和39 | 町制施行30周年記念で町民歌・高原音頭制定 町民体育館竣工 |
霧島国立公園に屋久島地区が加えられ、霧屋久国立公園と改称 | |
1965 | 昭和40 | 10月15日、西川嘉次、11代町長(~1969年10月14日) | ||
1966 | 昭和41 | 4月1日、常盤台分校、高原小学校より独立 | ||
1967 | 昭和42 | 町立病院本館・高原中学校校舎改築 | ||
1968 | 昭和43 | 広原小学校・狭野小学校体育館竣工後川内中学校舎改築 | 2月21日、えびの大地震 増水で湯之崎橋流失 |
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1969 | 昭和44 | 10月15日、西川嘉次、12代町長(~1973年10月14日) 狭野保育所開設 |
4月1日、祓川神楽、県無形民俗文化財に指定 | |
1970 | 昭和45 | 中央公民館・養護老人ホーム開設 | ||
1971 | 昭和46 | 7月28日、西諸広域行政事務組合業務開始 狭野児童館・後川内保育所開設 |
8月5日、手洗温泉附近で小規模水蒸気爆発・地すべり | |
1972 | 昭和47 | 霧島東神社の南参道開通 狭野の老人福祉館開設 |
御池近辺、野鳥の森に指定 | 集中豪雨により蒲牟田川氾濫 |
1973 | 昭和48 | 4月1日、常盤台小学校、高原小学校に統合 10月15日、今西周助、13代町長(~1977年10月14日) 町役場、現在地に移転 町木・鳥・花を制定 |
2月23日、祓川の黒木家住宅、国重要有形文化財に指定 | |
1974 | 昭和49 | 11月15日、高原小学校で創立100周年記念式典 11月、高原農協、小林地区農協に合併 母子健康センター・広原保育所開設 |
12月4日、祓川神楽、国選択重要無形民俗文化財に指定 | |
1975 | 昭和50 | |||
1976 | 昭和51 | 宮崎自動車道えびの~高原間開通 霧島美化センター竣工 |
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1977 | 昭和52 | 10月15日、横田修、14代町長(~1981年10月14日) | ||
1978 | 昭和53 | |||
1979 | 昭和54 | 5月7日、高原小学校図書館に蓮太郎文庫設置 10月、宮崎国体炬火リレー開催 |
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1980 | 昭和55 | |||
1981 | 昭和56 | 10月15日、横田修、15代町長(~1985年10月14日) 宮崎自動車道高原~都城間開通 |
12月、新燃岳第6噴気孔の温度上昇 (~1982.5) |
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1982 | 昭和57 | 村上恩、『狭野杉物語』を刊行 | ||
1983 | 昭和58 | 7月11日、狭野小学校みどりの少年団結成 | 2月8日、苗代田祭、町無形文化財に指定 | |
1984 | 昭和59 | 3月、高原小学校体育館竣工10月5日、町制施行50周年記念式典開催町民憲章を制定 | 高原町史刊行 | |
1985 | 昭和60 | 10月15日、横田修、16代町長(~1989年10月14日) 旧役場庁舎解体 |
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1986 | 昭和61 | 12月1日、狭野神楽、町無形文化財に指定 | ||
1987 | 昭和62 | 5月23日、ブラジルのイビウーナ市長来町 西独スポーツ少年団との国際交流 |
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1988 | 昭和63 | 高齢者工芸センター・花堂村おこしセンター開設 | ||
1989 | 平成1 | 10月15日、横田修、17代町長(~1993年10月14日) 置村100周年記念式典開催 全国優良町として表彰フルリレーマラソンで世界記録達成 |
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1990 | 平成2 | 5月18日、養護老人ホーム峰寿園完成神武太鼓創設 第1回神武の里総合武道大会開催 |
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1991 | 平成3 | 11月13日、新燃岳臨時火山情報発令 | ||
1992 | 平成4 | 高原畜産高校、高原高校に改称 文部省生涯学習モデル市町村に指定 |
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1993 | 平成5 | 4月27日、皇子原公園オープン記念式典開催 10月15日、横田修、18代町長(~1997年10月14日) |
台風による大災害、蒲牟田橋流失 | |
1994 | 平成6 | 10月5日、町制施行60周年記念式典開催 神武大橋竣工 |
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1995 | 平成7 | 教育文化ゾーン造成 | ||
1996 | 平成8 | 7月、たかはる清流らんど開園 蒲牟田橋災害復旧完了 |
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1997 | 平成9 | 10月15日、朝比奈紀行、19代町長(~2001年10月14日) 高原中学校新校舎竣工 |
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1998 | 平成10 | 5月、高原町女性団体連絡協議会発足 | 4月1日、日守古墳・狭野棒踊り・池之原庚申碑、町無形文化財に指定 | |
1999 | 平成11 |
3月、宮崎フリーウェイ工業団地完成 |
9月27日、苗代田祭、県無形民俗文化財に指定 狭野杉400周年記念式典開催 |
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2000 | 平成12 | 高原ライオンズクラブ30周年記念式典開催 高原駅全面改装、記念式典開催 |
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2001 | 平成13 | 10月15日、朝比奈紀行、20代町長(~2005年10月14日) 総合保健福祉センター「ほほえみ館」開設 狭野地区ほ場整備事業に着手 |
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2002 | 平成14 | 蒲牟田活性化センター竣工 高原中学校、韓国大川中学校と姉妹校結縁 |
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2003 | 平成15 | ほほえみ館「神武ホール」竣工 ひむか神話街道開通 |
4月26日、狭野神楽、県無形民俗文化財に指定 | |
2004 | 平成16 | 2月、Jリーグセレッソ大阪、高原でキャンプ実施 7月、第12回大淀川サミット開催 10月5日、町制施行70周年記念式典開催 |
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2005 | 平成17 |
Jリーグ(J2)ザスパ草津、高原で春季キャンプ開催 |
第1回後川内夏祭り開催(20数年ぶりに復活) | |
2006 | 平成18 | |||
2007 | 平成19 | |||
2008 | 平成20 | 農事組合法人「はなどう」設立 | 8月22日、新燃岳が小規模噴火 | |
2009 | 平成21 |
農事組合法人「はなどう」、農産物直売所「杜の穂倉」を開設 |
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2010 | 平成22 |
3月26日、湯之元土地改良区、第51回全国土地改良者表彰を受章 |
1月24日、祓川神楽、宮崎県総合博物館民家園「旧黒木家住宅」で公演 |
3月30日及び4月17日・5月27日、新燃岳が小規模噴火 |
2011 | 平成23 |
10月1日、東日本大震災復興に伴い、宮城県山元町に職員を派遣(~12月) |
4月1日、狭野神社の神楽面、町文化財に指定 | 1月26日午前7時31分頃から新燃岳で小規模な噴火が始まり、午後3時30分頃には火口上1500mまで噴煙が上がる |
2012 | 平成24 |
3月28日、宮城県山元町の山下フレンズバレーボールスポーツ少年団、来町 |
10月17日、狭野神社で浅野温子さんの古事記読み語り会開催 | |
2013 | 平成25 |
4~9月、東日本大震災復興に伴い、岩手県大槌町に職員を派遣 |
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2014 | 平成26 |
10月5日、町制施行80周年記念式典を開催 |
7月1日、兵庫県高砂市・宮城県塩竃市と「日本三奇観光パートナーシップ」の協定を締結 8月30日、岩手県大槌町職員の佐々木健氏を招いて町制施行80周年記念講演を実施 11月30日、倍賞千恵子氏・小六礼次郎氏・岡本茉莉氏を招いて美しい村たかはる映画祭を開催 |
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2015 | 平成27 |
12月、プロゴルファーの大迫たつ子氏(高原町出身)が第4回日本プロゴルフ殿堂のプレイヤー部門において殿堂入りを果たす |
10月、高崎川の蒲牟田砂防堰堤が完成 | |
2016 | 平成28 |
5月27日、児童養護施設「石井記念神武の家」解説 |
7月、仏法僧の飛来を30年ぶりに確認 | |
2017 | 平成29 |
4月3日、中央公民館図書室がリニューアル及び電算化 |
7月28日~29日、高原ライオンズクラブが高千穂峰山頂の国旗掲揚台を修復 |
10月11日、新燃岳噴火(~17日) |
2018 | 平成30 |
7月28日、まつり高原50周年記念式典開催 |
10月11日、「みやざきの神楽国立能楽堂(東京)公演(宮崎県主催)」に祓川神楽が出演 |
3月1日、新燃岳噴火開始 3月6日、新燃岳が爆発的噴火 |
2019 |
平成31 令和1 |
1月3日、東洋大学の今西駿介選手(高原町出身)が、第95回東京箱根間往復大学駅伝競走第6区に出場 |
5月1日、「御代替わり奉祝高千穂峰登山会」が開催される | |
2020 |
令和2 |
1月3日、東洋大学の今西駿介選手(高原町出身)が、第96回東京箱根間往復大学駅伝競走第6区に出場 |
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2021 | 令和3 |
4月~、町内全域に光ファイバー設置 |
9月、第35回国民文化祭みやざき2020及び第20回全国障害者芸術・文化祭みやざき大会のイベントで「高原の神舞」披露 | |
2022 | 令和4 | 2月17日、高原町地域商社の代表取締役候補及び地域商社名称を発表 3月19日、皇子原公園に屋根付き大型木製遊具を設置 3月30 日、高原町と矢野産業株式会社の間で高原高校跡地の利活用に関する覚書を締結 6月24 日、高原町と株式会社宮崎放送との間で地域の課題解決と住民サービスの向上を目的とした包括的パートナーシップ協定を締結 10 月20 日、豪華寝台列車クルーズトレイン「ななつ星in九州」が吉都線内を初めて運行 11月30日、町と高原町複合商業施設LaLa きりしま内事業者の株式会社エイコー建設(LaLa きりしまハッピーマルシェ)、ダイレックス株式会社及び株式会社常喜(SUMOMOベーカリー高原店)が災害協定を締結 |
9月28日、霧島ジオパークのエリア拡大が認定される 12月22日、狭野神社でヴァイオリニストの山内達哉氏による御神木ヴァイオリン奉納コンサートが開催 |
9月18日、台風14号が九州に上陸、常盤台水源地周辺の土砂崩れにより3,304 世帯が断水(9月28日解消) |
2023 | 令和5 | 7月13日、小林市役所で、小林市、えびの市、高原町と小林地区遊技業組合との災害時等での施設利用の協力に関する協定を締結 | 1月8日、出口地区でオネッコタッコが復活 | 8月8日~10日にかけて台風6号が通過、広原地区で大規模な山体崩壊や町道の損壊等が発生 |