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祓川神楽(国指定重要無形民俗文化財)

期間

毎年12月の第2土曜日

祓川神楽(国選択指定無形民俗文化財)の写真
祓川神楽「門境(かどざかい)」

 霧島東神社(旧名;霧島山東御在所両所権現社)の社家の年中行事の一つとして、祓川の集落に伝えられています。狭野と同様、400年ほど前にはすでに行われていたと考えられます。正徳5年(1715)奥書の神歌本の一部が残存しており、その古さがうかがえます。

 以前は旧暦の11月16日の夕刻から翌朝にかけて、神楽宿とした民家の庭先に御講屋を設置して行われましたが、現在は12月第2土曜日に、祓川神楽殿で行われています。

 集落近くで神事を行った後、祓川神楽殿で土曜日の午後7時頃から、翌朝7時頃まで夜を徹して舞われます。

 舞の中には、宮崎県北部の神楽にある「宿借り神事」にも通ずる「門境」をはじめ、子供が真剣の刃を握って舞う「剱」、天神七代地祇五代になぞらえた12人が約1時間にわたって勇壮に舞う「十二人剱」、南九州でしか見られない「杵舞」などがあります。また、神楽最初の「浜下り」では、神楽宿の老婦人に「天照大神」という役割を与えるなど要所で女性を使っており、女性祭祀の名残が見られます。

 なお、地元では「(夜)神楽」ではなく、「神舞(かんめ)」あるいは「神事(かんごっ)」と呼ばれています。

指定の経緯

  • 昭和44年4月1日、宮崎県無形民俗文化財に指定
  • 昭和49年12月4日、記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に指定
  • 平成22年3月11日、「高原(たかはる)の神舞(かんめ)」として国重要無形民俗文化財に指定

最近の公演・出演履歴

  • 平成19年6月23日、国立劇場(東京都千代田区)での単独公演
  • 平成20年12月28日、ダイドードリンコスペシャル「豊穣の息吹 剣の舞 祓川神楽」(宮崎放送制作)
  • 平成22年1月24日、宮崎県総合博物館民家園「旧黒木家住宅(移転前;高原町祓川)」での公演
  • 平成22年11月7日、第52回九州地区民俗芸能大会(佐賀県基山町)
  • 平成25年5月10日、NHK・BSプレミアム「新日本風土記・霧島連山」
  • 平成25年10月13日、第2回神楽の祭典(宮崎県庁本館前特設ステージ)
  • 平成27年10月27日、第6回日本ジオパーク霧島大会式典(霧島市文化会館)
  • 平成30年10月11日、みやざきの神楽 国立能楽堂公演(東京都・国立能楽堂、宮崎県主催)
  • 令和3年9月19日、西都「まっぽす」神楽~源流と変化の共演~(西都市・西都原御陵墓前広場)

開催日

 毎年12月の第2土曜日 19時頃から浜下り~

開催場所

 祓川神楽殿

〇祓川神楽は、霧島東神社の氏子が、霧島山の神に舞を奉納する最も重要な行事です。見学される場合は、必ず保存会の指示に従い、写真撮影(特に三脚を使用の場合)は保存会の許可を得て下さい。また、舞を行う御講屋内へは立入りできません(後述する「花舞」の時と神楽終了の時等、保存会の了承があった時は、その限りではありません。)

〇神楽は集落の年に一度の大きな行事です。神楽を見学する際には、焼酎ないし初穂料などをおさめるのが習わしとなっています。

〇御講屋に張り巡らせたしめ縄や「雑華(切り紙)」は、神楽を催行する上で重要な結界の役割を果たしています。みだりに触ったり破ったりする行為はお控えください。

 ※下の時間割は予定です。諸事情により時間が前後する事があります。

 ※令和5年度については、令和5年10月現在、通常通り12月9日開催予定です。

 

祓川神楽の番付
番号 行事名 予定時間 内容
1 番付行事
(非公開)
 

 かつては旧暦の11月1日(現在は12月1日)に行われていました。年行事・主取により全員が集められ、舞などの役割を決めます。稽古は必ずこの翌日から行われ、それ以前にはしない事が習わしでした。
 現在は、11月最初の週末に行われます。

2 神楽宿の設営

前日

9時00分~

 前日8時頃から、年行司・主取・宿主などが集合し、神楽宿に「松尾大明神」の注連を立てます。
 この作業は、正午までに終えるのが慣わしでした。神楽宿で神楽が行われていた当時は、まず2週間ほど前から酒を造り、「酒が出来たというしるし」に注連を立てたようです(現在、酒つくりの風習はありません)。注連を立てる際は、御講屋と同じように太鼓を打ち鳴らします。
3 内祭
(非公開)

前日

19時00分~

以前は旧暦11月15日(斎行前夜)、神楽宿内に造った酒部屋で行われたが、現在は神楽宿で行われます。その際、3年前の神楽宿の軒先に刺さっている矢を抜いて持ってきます。
 御祓いの後、「神隨」舞。その後舞手の2人が、1人は矢1本と御幣を付けた竹を、もう1人が矢2本をそれぞれ持って、「デシ舞」を舞います。

4 御講屋の設営 8時00分~  以前は神楽宿の前庭に造られましたが、現在は、神楽殿の中で行われます。
5 浜下り 19時00分~

 霧島東神社の旧参道入口にて降神の儀。その後、定められた順番に基づき、御講屋まで列をなして神おろしを行います。
 先頭の「塩ひ」は打ち水のような所作をしながら先導、行列後部は「はえぬの」と呼ばれる白布を備えます。

6 宮入 19時10分~  延命門より御講屋内に入り、御講屋で待つ宿主(男性は裃着用で脇差を帯刀、女性は着物で、頭上に抱き合うように重ねた夫婦の浴衣を乗せた箕を掲げる)の周りを3回廻ります。
 終了後、献撰・祝詞奏上などの神事。
7 門境(かどざかい) 20時10分~  鬼神と素面の2人舞。右手に扇子・左手に藤の鞭を所持した鬼神と、右手に錫杖・左手に高幣を持った「躰(とい)」が登場、鬼神の問に答えます。いわゆる「山の神問答」の演目。
 その後宮司が登場、鬼神と躰の前で祝詞を奏上し、瓶子に入った酒を与えます。
8 壱番舞
(いちばんまい)
20時30分~  子供2人(オンズ・セキ)の舞。御笠(日の丸模様で周りに御幣と短冊を付ける)・白衣・白袴姿で、右手に錫杖・左手に扇子を持って舞います。
 神舞の始まりを告げる舞。
9 神隨(かんし) 20時40分~  別名「四人神隨(よっだいかんし)」。素面の4人舞。4人とも烏帽子・白衣・青袴・白足袋を着用し、刀と錫杖を持ちます。4人がそれぞれ唱教。祓川神楽の中で最も重要な演目。
終了後、新たに1人(十二人剱の装束)が登場、刀2振を持ち、舞揚げを行います。
10 式参番
(しきさんばん)
21時10分~  2人舞。素面、絣衣・白袴・赤帯を着用し、藤の鞭・扇子・錫杖を持ちます。神歌なし。面舞を除くすべての舞の基本型に位置付けられています。
11 大光神
(だいこうじん)
21時35分~  1人舞。神面・緋狩衣・白足袋を着用し、扇子・藤の鞭を持つ。一通り舞った後、椅子に腰かけます。
12

地割(じわり)

21時50分~  素面の2人舞。別名「弓舞(ゆんめ)」と言われ、面を含めると1時間以上の長大な演目。
 白衣・白袴・御笠・白足袋・赤帯・片襷を着用し、オンズは弓矢・藤の鞭を、セキは御幣・藤の鞭を持ちます。
 「大光神」で椅子に座った鬼神に正対し、「神代四弓」の謂われを説きます。
 鬼神退場後、採り物を持って舞います。
13 飛出(とっで) 22時05分~  鬼神の1人舞。子供が黒毛笠・絣衣・赤帯・白袴を着用し、扇子を持って舞います。
14 高幣(たかひ) 22時15分~  女面の1人舞。振袖・白足袋を着用、右手に扇子・左手に高幣を持ちます。この舞のみ他の面舞と全く異なります。舞い方は単調で、音楽は太鼓のみのゆったりした単音が続きます。
 最後に用を足す所作をして終了。その後、地割舞があり、四隅に矢が配られます。
15 金山(かなやま) 22時35分~  鬼神の1人舞。緋狩衣・白足袋を着用し、扇子・藤の鞭を持ちます。最後に、四隅に配られた矢を回収する「矢取り」を行います。
 終了後、地割のセキが御幣を四隅に配置します。
16 宇治(うじ) 23時05分~  鬼神の1人舞。白狩衣・白足袋を着用し、御幣と扇子を持ちます。金山と同じく、最後に四隅の御幣を回収します。
17 幣貰之事
(ひもらいのこと)
23時25分~  飛出・高幣・金山・宇治の4人が次々に登場、御講屋内を廻り、中央の高幣の採り物を奪い合います。飛出、金山の順に退場、高幣舞手と宇治舞手が派手な取り合いを見せます。
 最後は宇治の1人舞。
18 諸神観請
(しょしんかんじょう)
23時30分~

 4人舞。4人は白衣・白袴・御笠・白足袋を着用し、御幣と錫杖を持ちます。舞は「神隨」と同じ。終了後、オンズとセキによる舞揚げ。
 その後、烏帽子・白狩衣・白袴・白足袋に高幣・錫杖を持った「請(じょう)」が登場し、長大な唱教を行います。
 これにより、舞う場所の清めが終了します。

※正徳五年(1715)の神歌が残るなど、祓川神楽の中でも古い舞に位置付けられます。

19 剱(つるぎ) 0時25分~

 素面の2人舞。白衣・赤帯・白袴・黒脚絆・赤襷を着用した大人2名と子供1名。
 「地舞(扇子・錫杖)」「帯舞(襷)」「刀舞(大人2人)」「中入(子供が入る)」「セキの舞揚(刀1振)」「オンズの舞揚げ(刀2振)」の五部構成。
 もっとも有名なのは、刀舞の途中で子供が登場し、両脇から差し出された刀の切先を握って舞う「中入」。かつて薩摩藩にあった風習の「稚児」を表現していると思われます。

20 田の神
(たのかん)
1時45分~  神の1人舞。古着・襷・赤帯・まん袋を着用し、竪杵・錫杖・飯がい・しゃもじを持つ。田の神やその着物・採り物の由来を薩摩弁で説く。番付中、最も客の笑いを誘います。
 最後は飯がいを回す「タッサビ舞」。最後の神歌で「次は十二人剱がある。」事を告げます。
 この演目の唱教は江戸時代の神歌本には載っておらず、口承で伝わったことがわかります。
21 十二人剱
(じゅうににんつるぎ)
2時10分~  素面12人による刀舞。白衣・白袴姿・赤襷で、背中の襷の結び目に「タッサビ」という御幣を付けます。12人は天神七代・地神五代を表します。約1時間という長大な演目。
 まず支度部屋で宮司からの御祓いを受けた後、御講屋へ向かいます。
 舞の前半は神隨に同じ、隊列を円陣から縦横のすれ違いに変化し、最後は左手に左隣の切先を握り、「岩潜り」を行う。
 終了後、舞納めとして12人の中の2人が刀2振を持って舞揚げを行います。
22 杵舞(きねめ) 3時15分~  素面の8人舞。装束は十二人剱に同じ。竪杵と錫杖を持って舞います。その後子供が箕を持って登場、10人で舞います。最後に大人が4人1組になり、2人の肩に竪杵を乗せた杵橋の上に子供が乗り、箕から穀物(切り紙)を振る舞います。
23 鉾舞(ほこめ) 3時35分~  鬼神の1人舞。白黒毛笠・白狩衣・緋大口袴・白足袋・赤襷を着用した鬼神が入場、扇子を持って入場。ひとしきり舞った後、その後三叉鉾を持った別の1人が唱教しながら入場、鬼神に鉾を渡し、鬼神の舞が始まります。
 天の逆鉾の由来を説く。霧島東神社の神官が舞を担当します。
24 長刀(なぎなた) 3時55分~  素面の1人舞。装束は十二人剱に同じ。まず地舞(扇子・錫杖を持つ)で、長刀の由来・用法を説きます。次に帯舞。
 その後長刀を御講屋の入口で受け取り、長刀を豪快に振り回す舞が始まります。
25 納(御花神隨)
(おさめ)
4時45分~  素面の4人舞。烏帽子・白衣・白袴・白足袋・赤帯・左袈裟襷、刀・錫杖を持つ。
 神隨舞を一通り舞った後、宿主が御講屋に宿主が入場。三方に乗せた白米に刀で九字を切り、切先でその米を掬って宿主に与えます。
26 陰陽(いんよう)    鬼神の2人舞。唱教が主体。現在は失伝。
27 住吉(すみよし) 5時20分~  鬼神の1人舞。白黒毛笠・緋狩衣・緋大口袴・白足袋を着用し、右手に扇子・左手に御幣を持って舞います。
 住吉大明神の由来や和歌を唱えます。
28 龍蔵(りゅうぞう) 5時30分~  鬼神の1人舞。黒毛笠・緋狩衣・緋大口袴・白足袋を着用し、右手に扇子・左手に御幣を付けた榊の枝を持って舞います。天の岩戸にまつわる唱教が主体。
29 大神祝詞
(おおかみのりと)
   龍蔵舞終了後、宮司が入場し、天の岩戸に閉じ籠もった天照大神に対し、祝詞を奏上します。
30 柴の問
(しばのとい)
   鬼神と素面の2人舞。舞は失伝、神歌のみ残存。
31 三笠(みかさ) 5時45分~ 素面の4人舞。御笠・白衣・赤帯・青袴・白足袋・右袈裟襷を着用し、右手に錫杖・左手に扇子を持って舞います。三笠縄(注連から御講屋の延命門側の両端に張られた注連縄)を4人で1本ずつ握りながら四方に舞うと、最後に絡まった縄が解ける仕組みになっています。
32 太力(たちから) 6時10分~  鬼神の1人舞。黒毛笠・白狩衣・緋大口袴を着用し、右手に扇子・左手に藤の鞭を持って舞います。
 最後に天の岩戸(天の岩戸と書いた紙を貼り付けた板)を投げる事により、ちょうど夜が明けます。
 これ以後、神楽は神楽宿での「竈祭」、御講屋内での「将軍・花舞」の二手に分かれます。
 この演目が「神楽(舞)の終了」に位置付けられていると思われます。
33 将軍(しょうぐん) 6時30分~  「太力」が終了し、神主等一同が御講屋から出て行った後、素面の2人舞で後に続く「花舞」とセットで行われる。「三笠」の装束に毛笠・刀を帯び、右手に錫杖・左手に扇子を持ちます。
 唱教のみで、四将軍及び花舞に関する由来を説きます。
34 花舞(はなまい) 6時35分~  「将軍」の唱教終了後、献撰された365個の餅を盆の上に乗せ、それを片手に持って舞いながら餅を落とします。その後刀舞をし、御講屋の外に出て、周囲に張り巡らされた注連縄を日の出の方角から斬り落とします。
 舞の最中に、御講屋内に落ちている餅を拾うため、客が御講屋内に押し掛け、餅の奪い合いとなります。すべての番付の中で、唯一客(女性も含む)が御講屋内に入る事の許される番付です。
 注連縄をすべて切り落とし結界を解除する事から、この演目が、「御講屋で行われる一連の行事の終了」に位置付けられると思われます。
35 竈祭(かままつり) 7時00分~  太力舞終了後、御講屋では「将軍」「花舞」が続く一方で、地割の舞手(弓矢を所持)2名・神主・楽・太力の鬼神が神楽宿に向かいます。
 宿で地割の舞手が宿の屋根に向かって矢を4本射ます(宿が藁葺きの場合は、屋内より屋根に向かって矢を射込みます。瓦葺の場合は矢を差し込んでおきます。現在は藁葺屋根がないので、玄関の柱に付けた藁束に射込みます)。
 その後、宿の一角に造った竃の前に筵を敷いて火を焚き、神主が昇神の儀の祝詞を奏上します。それが終わるとその竃で鰯を焼き、それを肴に御神酒をいただきます。
36 板敷祓い    神楽終了後の直会。以前は神楽終了後の夕刻に集まり、献撰された供物等をみんなで食していました。
 なお、この翌日から翌年の板敷祓いまで、新しい年行司及び主取が神楽に関するすべての事項を取り仕切ることになります。
 この2役は昔から連番制で任命されます。
37 御初祓い
(非公開)
   毎年1月8日に行われます。以前は次の年の神楽宿で行われていましたが、現在は希望制。
 内祭の時と同じく、神主によるお祓いの後、神隨が舞われます。その後、着物の襟首に「萱御幣(20センチ程の萱を二本束ねて御幣を付けた物)」を差し、豆腐を食します。