苗代田祭(ベブガハホ・宮崎県指定無形民俗文化財)
期間
毎年2月18日
苗代田祭は、毎年2月18日に行われている行事です。春に行われる予祝祈願の田遊び神事の一種で、別名「ベブガハホ」とも呼ばれています。「ベブ」は牛、「ハホ」は主婦(妊婦)を指します。
南九州では、同様の行事が離島を除いて広く分布しています。いずれの行事も、神社の境内や社殿・広場を田に見立て、作り物の牛を使って田ならし・種蒔き等の模擬田作りをユーモラスに演じるという共通点があります。
※令和3年の祭は中止となりました。令和4年の祭については、今のところ未定です。
2月17日『前夜祭』
午後6時頃、神官及び関係者一同神社の本殿に集合します。神主の祝詞の後、「一の田人」が神前で三歩進んで三歩下がり「ミトウド」と三度唱えます。
続いて「二の田人」「三の田人」が同様の所作をし、最後に「一の田人」が再び同じ所作をして、神歌を唱えます。
- 一の田人の神歌
- 浪速津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花
先ほどと同じように「二の田人」「三の田人」が同様の所作をして神歌を唱えます。
- 二の田人の神歌
- 桜木を くだきてみれば 花はなし 来る春毎に 種をまくなり
- 三の田人の神歌
- 春来れば 四方の山川 井手に堰 やらうやらじは 小山田の堰
神事終了後、社務所に場所を変え、当日の以下の役割を決めます。
- 総奉行
- 太郎次
- 上下男(カシタデカン)
- 下下男(シタデカン)
- 傭人頭
- 主婦(ハホ)
- 御田人
2月18日『本祭』
午前10時半頃から、本殿横に注連縄で区画された場所を神田に見立てて行われます。
前夜祭と同じく三人の田人が登場し、神歌を唱えます。その後、緑肥(ニワトコ)を腰に下げ、鍬に見立てた枝を持った御田人が入り、田打ち等を繰り返します。途中で太郎次・上下男が入ります。
一通り終わったところで上下男が神田の外に呼びかけると、下下男が馬鍬を付けたベブを連れて入場、馬鍬を取り付けて代掻きを行います。 木牛の退場後、太郎次の呼びかけで、「ハホ」が、その後神官が入場し、互いに神歌を唱えます。
- ハホの神歌
- 稲倉嶽より千把の稲を刈りおろしこいだりついたり鎌かったり遅うなり候
- 神官の神歌
- 風吹きて 御袖に空は さわぐとも わが蒔く種は よもやさわがじ
神官がハホの頭上の入れ物を受け取り、中の種籾を四方に蒔きます。
最後に太鼓と笛の音に合わせ、「庭立ちの歌」を唱えながら神田を3回廻って退場します。
- 庭立ちの歌
- 一 アノ立ち渡るよの、アノ立ちまさるよの、アノ向かいなるに原にきじこそ生ゆる
- 一 やんまんしょの一つにほろろうつ、ほろろはうたひでもどろうつもどる今朝のやさしさ朝の露がしげれば若い小松にはふりかけ
- 一 アノ蒔く苗代に、アノ中しくべくよ、アノ川の向かいなるの、その草もよしの、アノ倉の脇なるの庭草もよしの、アノ門田にあるのげげ草もよしの、アノ池はたなるの、この草もよしの、アノ川のはたなるの、アノよしぐさもよしの
- 一 かいもと柳、卯の花、たつのうらはをおろいでげにげにしてよ、一升げにもしてよ、一升まきの水こそ二升まきとも流るる、二升まきの水こそ三升まきとも流るる、京のもんとの水こそ綾のもんとも流るる、一、二、三の賽こそ、四、六、十ともあそばず
- 一 アノ朝とる苗は三つ葉さして、さしたのよの四葉になりて、きみぞ栄ゆるよの、アノなにがはやわせせいはびろよのはびろははやせ
- 一 やけいならばならば苗代のいねこそ種によかれ候よ、あぜはたのいねこそ鎌の刃をおろろいで、中ほどの稲こそ御蔵におさめ候よ
- 一 古い稲は下積みに、今年の稲は上積みに去年よりは今年は得のかさが上りて世の中よければ、百に米を三斗かをまして大豆を八斗かを
祭終了後、参拝者に味噌と種籾が振る舞われます。
神社関連の古文書によると、「木牛は二月初酉の祭で使用していたが、享保年間の霧島山噴火により焼失したため、社人の増田早左衛門が作成した」とあります。「二月初酉の祭」はこの祭を、「享保年間の噴火」は享保元年(1716)から翌年までの新燃岳大噴火と指している事から、江戸時代初期にはすでに祭が行われていた事がうかがえます。
又、前夜祭についても、同じ古文書に「前晩祭」と見える事から、同様にセットで行われていたと思われます。なお、先代の木牛(現在の木牛は昭和10年代に作成)は、墨書により文政年間(1818~1830)に作成された事がわかります。
苗代田祭の特徴としては、前夜祭が江戸時代からから本祭とセットで行われている事、江戸時代後期の木牛が残されている事、等が挙げられます。
平成11年9月27日に、宮崎県無形民俗文化財に指定されました。