コラム「高原町の歴史(新燃岳の享保噴火その1)」
新燃岳の享保噴火について(その1)
さて次は、高原町の歴史を語る上で避けては通れない話題、「新燃岳の享保噴火」について取り上げていきます。
先日、『みやざき民俗』第74号に寄稿して、一応一区切り付いたという事で、それをもとに書いていきます。
思い起こせば平成23(2011)年1月、新燃岳が大噴火を起こしました。東日本大震災の二ヶ月前の出来事です。今年2025年なので、もう14年も経つんですね。今の中学生より下の世代は、出来事としては知っていても体感していないんですよね。同じようなことが東日本大震災でも言えますが。私が平成25年・29年に派遣された岩手県大槌町でも、震災の記憶が消えつつあるという話は、震災から6~7年ぐらいにはすでに聞かれていました。
噴火というのは、知識として知ってはいても、いざ目の前でそれを見た時、何というのでしょうか、言葉にはできない自然のすごさを感じました。
ちょうどその頃、広報たかはるで「新燃岳の享保噴火」を連載してまして、終わった途端に噴火したので、何となく勝手に運命を感じました。ですので、噴火を目の当たりにした時は、不謹慎かも知れませんが、驚きよりも「300年に一度の噴火に巡り会えた!」という一研究者としての気持ちが勝ってしまいました。まぁ、こういう事が言えるのは、死者がいないからかもしれませんが。
さて、本題に戻りまして、「新燃岳の享保噴火」です。享保元年(1716)から翌2年(1717)にかけて新燃岳が複数回大噴火を起こしました。
ここで「新燃岳」という名称ですが、何か「新しく燃えた」って安直な名前…。この山、そもそもほとんど噴火履歴のない山なので、たぶん、噴火するまで名も無き山だったのかもしれません。寛政4(1792)年6月に高千穂峰に登頂した高山彦九郎は「老掛新ンもゑ」と記しています。おそらく、享保噴火を経て「新燃」と名付けられたのでは、と思います。
「何で今更?昔の噴火の事は全部調べが付いてるんじゃないの?」と思われる方が多いかも知れませんが、今語られている中身は、「史料に基づいたもの(その史料の検証した?)」「立て板に水のような文章(それは創作では?)」等が入り混じっているのが現状です。新燃岳の享保噴火の場合も、古代と違って江戸時代の出来事ですから、「史料が残っていて当然!」と思われるでしょうが、精査していくと意外に当時の史料というのは少なく、しかも虫食い状態でしか残っていないんですよね。
という事で、噴火について(なるべく)リアルタイムで記された史料から、「新燃岳の享保噴火」を見てみましょう。
(文責 大學 康宏)
先日、『みやざき民俗』第74号に寄稿して、一応一区切り付いたという事で、それをもとに書いていきます。
思い起こせば平成23(2011)年1月、新燃岳が大噴火を起こしました。東日本大震災の二ヶ月前の出来事です。今年2025年なので、もう14年も経つんですね。今の中学生より下の世代は、出来事としては知っていても体感していないんですよね。同じようなことが東日本大震災でも言えますが。私が平成25年・29年に派遣された岩手県大槌町でも、震災の記憶が消えつつあるという話は、震災から6~7年ぐらいにはすでに聞かれていました。
噴火というのは、知識として知ってはいても、いざ目の前でそれを見た時、何というのでしょうか、言葉にはできない自然のすごさを感じました。
ちょうどその頃、広報たかはるで「新燃岳の享保噴火」を連載してまして、終わった途端に噴火したので、何となく勝手に運命を感じました。ですので、噴火を目の当たりにした時は、不謹慎かも知れませんが、驚きよりも「300年に一度の噴火に巡り会えた!」という一研究者としての気持ちが勝ってしまいました。まぁ、こういう事が言えるのは、死者がいないからかもしれませんが。
さて、本題に戻りまして、「新燃岳の享保噴火」です。享保元年(1716)から翌2年(1717)にかけて新燃岳が複数回大噴火を起こしました。
ここで「新燃岳」という名称ですが、何か「新しく燃えた」って安直な名前…。この山、そもそもほとんど噴火履歴のない山なので、たぶん、噴火するまで名も無き山だったのかもしれません。寛政4(1792)年6月に高千穂峰に登頂した高山彦九郎は「老掛新ンもゑ」と記しています。おそらく、享保噴火を経て「新燃」と名付けられたのでは、と思います。
「何で今更?昔の噴火の事は全部調べが付いてるんじゃないの?」と思われる方が多いかも知れませんが、今語られている中身は、「史料に基づいたもの(その史料の検証した?)」「立て板に水のような文章(それは創作では?)」等が入り混じっているのが現状です。新燃岳の享保噴火の場合も、古代と違って江戸時代の出来事ですから、「史料が残っていて当然!」と思われるでしょうが、精査していくと意外に当時の史料というのは少なく、しかも虫食い状態でしか残っていないんですよね。
という事で、噴火について(なるべく)リアルタイムで記された史料から、「新燃岳の享保噴火」を見てみましょう。
(文責 大學 康宏)